2023 0131「ペリー来航と鳳凰丸」/「浦賀引揚船」@浦賀コミュニティーセンター分館

 FBの友達から掲題の展示を知り1月31日に見てきた。浦賀はいつも通過するだけで車から降りたことはほとんどないし、コミュニティーセンターを訪れるのはもちろん初めてだった。バス通りから入る道は車が1台やっとの狭い道で入っていいのかと一瞬迷ったが、コミュニティーセンターには5〜6台は駐まれる駐車場があってホッとした。

ペリー来航は一通り知っていたつもりだったが鳳凰丸は知らなかった。浦賀引揚船についても全く記憶はない。2つの展示とも残念ながら撮影不可だった。
幕末に作られた日本最初の洋式帆船というと西伊豆の戸田で建造され1855年4月に進水したヘダ号ということになっている。鳳凰丸はヘダ号の1年前、1854年6月に完成しているが勝海舟の評価が低かったこともあり、一般的には初の洋式帆船とは認知されてこなかった。私はその存在を知らなかった。船型と構造が通常の洋式とは異なり、ボルトではなく和釘しか使われなかった点も洋式帆船と認められなかった理由だ。はっきりとした設計者はいないし、したがってきちんとした図面もない。鳳凰丸の舟大工は来日中の英国船に乗船し通訳に説明を受けたそうだが、まさに見様見真似で作った感がある。この2船の比較については以下の論文が参考になる:(https://www.jstage.jst.go.jp/article/conf/26/0/26_81/_pdf

浦賀が引揚港だったことは知らなかったし、全国でも4番目に多数の引揚者、56万人が上陸したそうだ。コレラ感染者が見つかった引き上げ船は全て浦賀に帰港し、感染者は久里浜検疫所に集められたそうだ。舞鶴に引揚船が着いたというのは子供の頃にニュースで見聞きした覚えがあり、引揚船=舞鶴という記憶ができたようだ。

浦賀の後は横須賀ポートマーケットに戻り、舟主(ふなおさ)でマグロと鰹の漬け丼。セルフサービスで¥1400+は高いと感じるが、この1〜2年で全てが値上がりしたことを思うと妥当な値段なのか。食後は久里浜のペリー公園へ。子供の頃行ったことがあるのではと思うが覚えていない。散々前を通過しているのでここらで一度は止まってみようという気になった。記念碑ができたのは1901年。

展示内容はいくらか寂しいペリー記念館。
在日米海軍司令官とペリーの出身地ロードアイランド州ニューポート市市長から寄贈された石。

野比まで散歩。水仙は見頃を過ぎたようだった。

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